木公だ章三 | 京都の“生き続ける文化財”周辺を訪ね歩きます。

アドバイザリー レポート            by 木公だ章三

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2023/10/02

シリーズ《生き続ける文化財》 : 『祇園祭』2023

(※「『祇園祭』2023」を再掲)

前祭と後祭のはざまの7/22に京都市文化観光資源保護財団が祇園祭の親子体験教室を開催しました。前祭巡行を終えた放下鉾の会所でお囃子体験をし、南観音山で山搭乗体験をするもので、小学生の親子30組をネットで募集したところ、直ぐに一杯になったといいます。放下鉾保存会の皆さんは、巡行を終えたばかりですが、コンチキチンの演奏を子供達に熱心に教えていました。こうした地道な取組が祇園祭のこれからを支えていくのだと実感しましたので、その様子をご覧下さい。

《ご案内》

今年の祇園祭(2023)は「すべてを元に戻す」という宣言から始まった。御輿渡御の出発にあたり、八坂神社・野村明義宮司は神社石段下で「4年ぶりの御輿ぶりをよろしくお願いいたします」とみなにあいさつした。今年、発足100年の節目となる祇園祭山鉾連合会では、木村幾次郎理事長が「同じことを粛々とさせていただくことが大事。これから100年、200年とつながっていくよう頑張りたい」(京都新聞)と語った。いずれも、「継続は力なり」という確信が伝わってくる。

今年話題になったのが、山鉾巡行での高額観覧席であった。京都市観光協会が前祭で、140万円の「プレミアム観覧席」を創設したのだ。山鉾の辻回しが間近に見れる河原町御池の南西角に、屋根付きの特設観覧席が84席設けられ、65席が売れたという。外国人観光客らが気迫のこもった巡行の姿を堪能した。この企画は、観光庁の「観光再始動事業」に採択されたもので、青森ねぶた祭などでも高額観覧席が用意されており、国のインバウンド戦略における「量から質」への転換の表れでもあった。年々増大する祭り運営費や祭りの維持・継承に向けて、収入源を拡げることは欠かせないと話している。

このプレミアム観覧席の東側、河原町御池の南東角にある京都信用金庫の交流拠点「クエスチョン」では、祇園祭山鉾連合会が呼びかけるクラウドファンディングに10万円を寄付した人が「辻回し」を鑑賞できるコースが新設され、前祭と後祭の両方で催された。今年の河原町御池交差点は、南西角でプレミアム観覧席、南東角で「辻回し」鑑賞コース、北西部の京都市役所前では雑踏対策を強化した警備本部が陣取り、話題に事欠かなかった。

山鉾巡行では、これまでに見られなかったレアな光景が見られた。後祭の山鉾巡行は、これまで「くじ取らず」で2番目を北観音山が進み、6番目が南観音山の巡行順であったが、今年から1年ごとに交代することになった。そこで、今年は南観音山が北観音山より先に巡行するのだが、北と南の観音山は新町通に建っており、出発地の御池通には北観音山の方が近い。このため、巡行当日は北観音山の後から南観音山が北上し、御池通の室町あたりで南観音山が北観音山を追い越して(写真)、2番目でスタートしていった。

御輿渡御でも新しい試みがあった。八坂神社の氏子組織「宮本組」が1150年超の歴史上初めて、御輿を先導するボランティアスタッフを一般公募した。これまで白丁装束で朱傘を持つなどの役割を学生アルバイトに依頼してきたが、「奉仕に前向きな人を受け入れ、祭りを未来につなぎたい」とその思いを語った。

山鉾を収蔵する町会所では、築150年強の伝統的な町家形式の会所である「郭巨山会所」が、その様式を活かしつつ耐震・増築され、日本建築学会賞(作品部門)を受賞した。同会所は四条通に面するが、1907年の四条通拡幅工事により建物の前面が削られたうえ、建替や増改築しようとしても、建物が面する道路条件や防火基準などから思うようなものが建てられず不便を強いられてきた。そこで京都市の歴史的建築物保存・活用条例をフル活用し、既存の建物を保存建築物としたうえで、伝統様式を活かしつつ耐震改修や増築を行い、建築基準法に規定する地震や火災の安全性を確保したのだ。同学会は「都市遺構を継承する先行事例をつくることで、保存でもなく開発でもない選択肢を増やす企て」と評価している。

今年の祇園祭は「すべてを元に戻す」なかにも、次代に向かう変化があった。

《フォト》

 

 

 

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2024/03/04

シリーズ《生き続ける文化財》 : 世界遺産『天龍寺』と小倉山

2023年度京都・観光文化検定試験に、「西芳寺や天龍寺の庭園を手掛け、枯山水や石組を使った庭園の発展に大きな影響を与えた僧侶は誰か。」という問題(3級)がありました。選択肢は、()古嶽宗亘 ()無関普門 ()夢窓疎石 ()雪江宗深です。いずれの僧侶も京都に関わりのある人たちですので、その答えを見つけに世界遺産『天龍寺』に向かいましょう。あわせて、天龍寺の裏山の小倉山にも登り、京都の町を西から眺めましょう。

《ご案内》

天龍寺は、後嵯峨天皇の亀山離宮があったところに、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、1339(暦応2)年に夢窓国師を開山として創建した禅寺である。同寺造営のため元冦以来途絶えていた元との貿易を再開し、その利益を造営費用に充てた。これが歴史の教科書に出てくる「天龍寺船」である。天龍寺の建立は、幕府による海外貿易の大きな転換点になったわけだ。

天龍寺は、度重なる火災に見舞われた。特に文安の火災(1447年)と応仁の乱による被害(1468年)が大きく、復興には豊臣秀吉の寄進を待たなければならなかったという。また、蛤御門の変(1864年)では天龍寺が長州軍の陣営となり、薩摩軍が長州残党狩りのため寺に火をかけ、伽藍は焼失してしまった。しかし天龍寺は復興を続けた。1899(明治32)年に法堂・大方丈・庫裏完成、1924(大正13)年に小方丈(書院)再建、34(昭和9)年に多宝殿の再建などにより、ほぼ現在の寺観になった。

天龍寺の特徴を、世界遺産「古都京都の文化財」は次のように紹介している。「三門、仏殿、法堂、方丈を一直線上に並べ、方丈の裏に庭園を造った典型的な禅宗寺院の地割であり、方丈庭園は自然の地形を大きな築山に見立てて作られている。8度の兵火により主要伽藍は失われたが、夢窓疎石が作庭に携わった天龍寺庭園が残り、特別名勝に指定されている。滝組竜門瀑、石橋、岩島といった石組を立てたダイナミックでしかも繊細な趣の池庭であり、方丈からの眺めを重視した構成や石組の手法は室町時代以降発展する枯山水庭園に影響を与えている。」

天龍寺庭園は「曹源池庭園(そうげんちていえん)」と呼ばれ、その背後は嵐山公園亀山地区(通称「亀山公園」)である。亀山とは小倉山のこと。山のかたちが亀のかたちなので亀山と呼ばれる。小倉百人一首をまとめたとされる時雨亭はこの山の東麓であり、公園内には歌碑が多数ある。亀山公園から約1.5キロ北西に登ると頂上(標高296メートル)に至る。

小倉山山頂からは、京都盆地西側の嵯峨野や太秦、そして双ヶ岡がよく見える。大文字山から見える吉田山や御所など京都盆地東側の景色とは対照的だ。平安京北端の一条大路は、双ヶ岡と吉田山を結んだ線上に設けられたとする説があるが、地上から見る場合はこの2点だけでは線が定まらない。衛星写真を見ると小倉山、双ヶ岡、吉田山、大文字山が東西方向に直線状に並んでいて、小倉山と双ヶ岡を見通して線を引くと一条大路ができあがる。

小倉山と嵐山との間には山を裂くように桂川が流れる。保津峡だ。亀山公園の展望台に登ればその渓谷美を見渡すことができる。

桂川上流の北山山地は、京都府中央部から兵庫県東部にまたがる丹波高地の一部で、東は高野川に沿って南北に走る花折断層により比叡山地と区切られる。京都市南西部の桂川右岸側に広がる山地も丹波高地の一部である。京都盆地は東縁に花折断層帯(花折断層や桃山断層)、西縁に京都西山断層帯(樫原断層や西山断層)があり、それら活断層の活動によって形成された陥没盆地だ。小倉山の西と南を流れる桂川は、保津峡より上流ですでに土砂を堆積させているため谷口部には明瞭な扇状地は形成されていない。谷口部を出た渡月橋あたりからは緩やかな地形となり、蛇行しながら南に流れる。

山麓で百人一首をまとめたとされる小倉山だが、そこに登れば、京都の地形に思いを馳せ、平安京造営の様子が偲ばれる。

《フォト》