木公だ章三 | 京都の“生き続ける文化財”周辺を訪ね歩きます。

アドバイザリー レポート            by 木公だ章三

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2022/09/05

シリーズ《生き続ける文化財》 : 『五山送り火』と京都の盆行事

(※「五山送り火2022」を再掲)

『五山送り火』が3年ぶりに全面点火されました。大文字送り火は、昨年と一昨年が中央と端の6点でしたので『大』と読むには心の力が必要でしたが、今年は従来どおり75点が灯されましたので、誰にでも分かる文字となっていました。お盆のころには送り火のほか、松上げ、盆踊り、六斎念仏、地蔵盆、六道詣り、千灯供養など、京都市内各地でいろいろな祭りや行事が行われましたので、京都の盆行事を巡ってみましょう。

《ご案内》

今年は、大文字送り火の『大』が夜空にはっきりと描かれた。全面点火は3年ぶりとあって、コロナ下で我慢してきた人や霊たちには大変印象深い送り火になったことだろう。「大文字」のほか「妙・法」「船形」「左大文字」「鳥居形」も従来どおり灯され、ようやく本来の京都のお盆が戻ってきた気がする。これらの形をつくるため、各山の斜面に多数の火床が設けられる。その数は「大文字」75ヶ所、「妙」103基・「法」63基、「船形」79ヶ所、「左大文字」53ヶ所、「鳥居形」108基と、合計481にのぼり、各保存会では火床に組み上げる松割り木などの確保に苦労されている。

送り火そのものは、冥府に帰る精霊(しょうらい)を送るという意味をもつ盆行事の一形態。広く一般に行われるようになったのは室町時代以降といわれる。誰がいつごろから始めたかは諸説あり、確実なことはわかっていない。

『大』が灯される如意ヶ嶽の山頂あたりには、戦国時代に大規模な山城か築かれたという。如意ヶ嶽の南麓に京と近江を最短で結ぶ古道・如意越(にょいごえ)が通り、交通や軍事上重要な場所であったことから、山頂部を本丸とし東西約400メートル、南北約250メートルの範囲で築かれたようだ。その城の本丸からは、洛中を越えてはるか西方まで遠望できたことだろう。

『五山送り火』は夏の風物詩として有名だが、この頃、北部山間の広河原、花脊、雲ケ畑、久多宮の町、京北小塩町では、「松上げ」という火を使った行事が行われる。

広河原の松上げは、下之町のトロギバ(灯籠木場)とよばれる平地で行われる。その中央には高さ約20メートルの桧の柱(灯籠木:トロギ)が立ちあげられ、先端にモジとよばれる籠状の松明受けが付いている。トロギ周囲に立てられた千本以上のジマツ(地松)が日没とともに灯され、その後、男たちが上げ松(松明)を先端のモジに向かっていっせいに投げ上げ、点火する。投げ上げられた松明は、幾筋もの放物線を夜空に描き出し、幻想的な光景となる。燃え盛るトロギは倒され、長い棒で掻き上げて火柱をあげる「ツッコミ」が行われて、谷あいの夜空に火の粉が高く舞い上がる。しかし今年の広河原の松上げは、コロナの感染拡大により、予定を変えて中止となった。

お盆の時期には仏教行事の「盂蘭盆」のほか、地蔵菩薩の縁日が「地蔵盆」、大日如来の縁日は「大日盆」といわれ、市内各地でいろいろな盆行事が行われる。右表は、8月に京都市内で行われる行事のうち無形民俗文化財に指定・登録されたものを集めたもので、送り火や松上げのほか、各地の踊りや六斎念仏も入っている。

修学院では、例年827日の大日盆の夜に修学院大日踊・紅葉音頭が行われる。場所は修学院離宮の西、鷺森(さぎのもり)神社の御旅所でもある七町会館前の広場だ。広場中央の櫓(やぐら)に立てられた青竹の先に、観音経が書かれた切子(きりこ)燈籠が一灯吊るされ、夜になると三幅前垂(みはばまえだれ)姿の女性たちが櫓の回りに輪をつくって、「南無妙法蓮華経」という題目(だいもく)に節をつけた歌に合わせて題目踊を踊る。この踊りは中世の念仏踊りの面影を残しているといわれるが、残念ながら今年はコロナに配慮し中止となった。

「京都の盆行事」は、このように地域で個性豊かに育まれ、連綿と受け継がれている。

《フォト》