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京、まち、歩く! レポート by 木公だ章三 |
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2025/5/7 |
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文化都市施設 : 背割堤『桜のトンネル』と三川合流域 京都盆地の南西端は京都府八幡市橋本北ノ町です。このあたりは桂川、宇治川、木津川が合流する三川合流地と呼ばれ、京都盆地の中で最も標高が低い場所です。その標高は10メートルなので、大阪湾の最低潮位との差は11.3メートル。ですから、三川合流地から下流の淀川は、僅か11.3メートルの高低差で約36キロ先の大阪湾まで水が流れているのです。三川合流地の先端部には1.4キロの背割堤が造られ、そこに桜並木があり「背割堤さくらまつり」が行われますので、桜巡りをしましょう。 |
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《ご案内》 桂川、宇治川、木津川の三川が、天王山と男山に挟まれ合流する地点には全長1.4キロメートルの「背割堤」がある。その堤防の上には約220本の桜が連なり、春には『桜のトンネル』となって来る人を魅了する。桜の開花時期には「背割堤さくらまつり」が行われ、大勢の人たちがお花見イベントを楽しむ。また背割堤の上流部、御幸橋の袂には2017(平成29)年春に完成した「さくらであい館 展望塔」が建ち、地上25メートルから桜花の絨毯を一望することもできる。 ここの桜並木の歴史は浅い。というのも三川が合流する地点が何度も変わってきたからだ。かつて宇治川は、伏見の南にあった巨椋池に流れ込み、淀のあたりでいくつかの流れとなって桂川や木津川と合流していたが、豊臣秀吉が太閤堤を築き、宇治川を巨椋池から切り離して北に大きく彎曲させた結果、宇治川と桂川が淀の北で合流(A)し、木津川は淀の南で淀川に合流(B)していた。 明治になり、1868(明治元)年に起った木津川堤防決壊をきっかけに木津川が現在の流路に付け替えられ、宇治川との合流点が下流側(C)に移った【図2】。85(同18)年の淀川大洪水では、96(同29)年から14年かけて淀川改良工事が行われ、宇治川を淀の南(D)へ付け替えて連続堤防が造られ、宇治川と巨椋池が完全に分離された【図3】。 1917(大正6)年の台風豪雨による洪水を契機に更なる淀川改良工事が行われ、三川が合流する地点で背割堤を構築して合流点を下流に移し(E)、木津川の流量が増加しても桂川、宇治川に影響が及ばないようにした【図4】。このような経過から、木津川旧流路のあたりでは京都市、八幡市、久御山町の境界線が複雑に入り組んでいる。こうして三川が一箇所に集まり背割堤が造られたのだが、このときまだ桜並木はなかった。 昭和40年代になって余暇時間の増大やレクリエーションの多様化を背景に、淀川の河川敷を公園として整備する事業が1972(昭和47)年から始まり、背割堤地区は淀川河川公園の一つとして整備された。当初は松並木だったが、松枯れの被害が拡大したため6年後に桜に植え替えられ、あわせて遊歩道等の整備を進め88(同63)年4月に桜並木が一般開放された。桜のトンネルは今年で38年目ということになる。 背割堤の上流、御幸橋から北東約2キロのところにはもう一つの桜の名所、「淀水路の河津桜」がある。超早咲きの桜で、3月上旬には水路沿いに約300本の河津桜が見頃を迎える。淀水路は木津川旧流路の北側に位置し、大正11年の京都市都市計画基本図には「巨椋湖悪水路」と書かれている【図4拡大図】。明治期の宇治川付け替えで連続堤防が築かれたため、北側に残った沼地等の水を桂川に抜くための排水路だったのだろう。その水路を整備し、1977(昭和52)年に緑道としたのが淀緑地公園である。淀水路の河津桜は、住民が2本の苗を淀緑地公園に植えたのがきっかけとなり、地元の愛護協力会や「淀さくらを育てる会」の皆さんが植樹し、育ててきたものだ。2月になると桜の開花が始まり、大勢の人々が一足早い桜を楽しんでいる。 背割堤が公共主体の桜並木、淀水路が住民主体の桜並木ということであり、それぞれに趣がある。 (続く) |
《フォト》
(資料1)「国指定史跡 宇治川太閤堤跡」宇治市歴史まちづくり推進課 2021年 |
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