木公だ章三 | 京都の“生き続ける文化財”周辺を訪ね歩きます。

アドバイザリー レポート             by 木公だ章三

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2021/04/19

文化都市施設 : 『府立植物園』あるき

例年より早い春の訪れに誘われ,植物園に行きました。左京区下鴨の『府立植物園』は,大正13年に開園した日本最古の公立総合植物園です。春には450本の桜が咲き,秋はカエデやフウなどの紅葉が見事です。四季を通じて様々な植物と出会える植物園は,子供からお年寄りまで,家族連れはもちろん,お一人でも十分に楽しめる「生きた植物の博物館」です。この植物園の横には賀茂川が流れ,たくさんの鳥や人が集まって爽やかな春を満喫していましたので,その様子をご覧ください。

《ご案内》

北大路駅から賀茂川を渡って植物園に行った。いつもは北山駅で降りるが,天気が良いので北大路駅で降り,橋を渡って12千種の草花に会ってきた。駅から北大路を東に行き,橋の袂に立つと東山の稜線が一望できる。道路を挟んで左に比叡山,右に大文字がはっきりと見える。橋の中ほどから川上を見ると,北山をバックに,左手の加茂街道の並木,右手の植物園の木々と,川の周囲を緑が覆い尽くしている。そして,鳥や人たちが気持ちよさそうに豊かな自然を満喫している。

北大路橋東詰から川沿いを少し北に行くと,道路が右に折れて植物園の入口となる。ここから約300メートル北にある正門まで,立派なけやき並木が導いてくれる。いつも北山門から入るので気付かなかったが,植物園の正門はこの南門である。正門を入って右手は,“洋風シャクナゲ園”→“ばら園”→“沈床花壇”と続き,しっかり作り込まれた洋風庭園にバラが見事に映える作りだ。この北側には大きな芝生が広がっている。それらの間には“くすのき並木”が東西に通り、両者の場面転換の役割も果たしている。“大芝生地”から北東へは,“京の庭”,“はなしょうぶ園”,“植物生態園”を通って,北山門の前の“ワイルドガーデン”につながる。ここには私を待ってくれている“麦藁帽子と少女の像”が,朝日を浴びて満面の笑みをたたえている。

ワイルドガーデンから西に行くと“なからぎの森”がひろがる。広さ約5,500平方メートルのこの森は,古くから「流れ木の森」ともいわれ,下鴨に残された原植生をうかがい知ることのできる園内唯一の貴重な自然林だという。四つの池の中央には,上賀茂神社境外末社の半木(なからぎ)神社が鎮座し,池の周りにはカエデ類が生い茂って紅葉が美しい。

このように24ヘクタールにも及ぶ植物園には,大人から子供まで,世代・年代・性別・国籍を超えて楽しめる植物と空間,そして人々の笑顔があふれていて,何度行ってもあきない。このような植物園がどうして下鴨の地に生まれたのだろうか。

植物園の用地は,1914(大正3)年8月から開催予定の大正天皇即位「大典記念京都博覧会」予定地として,京都府がその前年4月に,上賀茂今井町と下鴨半木町にまたがる約10万坪(33.5ha)を購入したことに始まるという。しかし大典記念京都博覧会は,15(同4)年10月から岡崎公園で開催され,その遺構であるレンガ造の門柱が岡崎グランド南西部に残っている。植物園の工事は17(同6)年から始まり,7年後の24(同13)年11日に「大典記念京都植物園」として開園した。

京都府が用地購入した年は,5月に市電・烏丸線が丸太町から今出川まで延伸開業しており,鉄道網の整備を見越した購入であった。植物園の着工は土地取得から4年後になるが,市電網の工事は順次進み,植物園開園の前年には市電が植物園前まで延伸している。このころ,植物園南側の京都府立大学も校舎整備を進め,18(同7)年に同大学前身の京都府立農林学校が現在地で授業を開始している。交通基盤と歩調を合わせた植物園等の整備であったわけである。この時,北大路橋はまだ無く,京都府立大学の南側道路を西に行ったところに「中加茂橋」が架かっていたことが,昭和4年の都市計画基本図に載っている。そして市電の停留所はこの橋の西詰であった。だから植物園の正門は南側で,正面から北大路まで立派な“けやき並木”が設けられていたのだ。  続く

《フォト》